独裁者Aによる誤った解釈


第九では、
あらゆる人種、あらゆる意見、あらゆる対立があろうとも、
この音楽によって、再び結びつけられる。
と歌っているはずだった。

指導者A氏が現れた。
平凡な指導者だったのかもしれない。

口のうまさから次第に頭角を現し、A氏は指導者として君臨した。

過去の偉大なる歴史の積み重ねの上に登場した。
偉大なる歴史は、十分評価されるものだった。

そして、偉大なる歴史を我が物にした。

組織では、カリスマ性を発揮し、人気を得た。
あろうことか、ベートーヴェンの「第九」を利用した。

他の人種の存在を認めない、我々が最も優れている
他の意見の存在は認めない、我々が正しい
対立は排除する、我々が統一する

異なる意見を認めない、そして排除する。
通信や内部の会話を調べ、異なる意見を排除した。

異なる意見を述べるものとは一緒には歌えない、
この集いから去れ、と解釈した。

残った仲間は、文句も言わずに指導者を称え、指導者に従う者だけとなる。
排除された有能な者は、殺されないうちに別天地へ。

そしてA氏はまれにみる独裁者となった。
たくさんの仲間を連れ回してはいるが、実に滑稽で孤独だ。


指導者A氏とは、アドルフ・ヒトラーAdolf Hitlerである。

戦後、「フルトヴェングラーWilhelm Furtwangler」はA氏に利用された演奏を悔いていた。
1941~42年だけでナチスにおける「第九」の演奏会は31回。
そのうち9回でフルトヴェングラーが指揮していた。

1951年7月29日、フルトヴェングラー指揮の「第九」でバイロイト音楽祭は再開された。
平和を勝ち得た民衆の歓びの歌だ
いまだに歴史的な演奏として記録されている。


ベートーヴェンの生前にも独裁者B氏がいた。

彼のために作曲した「英雄」、ベートヴェンはその楽譜を引き裂いた。
B氏とはボナパルトNapoleon Bonaparteである。
もてはやされ、民衆の先頭から指導者となったが、やっていることは独裁だった。